★旅のまとめ
2008/10/24(金)~2008/11/6(木)
渡来先:ドイツ・ベルリン滞在(旧西ベルリン)
航空会社:スカンジナビア航空(sas)、easyjet
◆SAS批評
数年ぶりに乗ったSASだが、サービスが簡素化されていて驚いた。理由としては、エコノミーとビジネスの間に「エコノミーエクストラ」というクラスが出来たことが原因ではないかと思う。そのせいか、機内食も選べなくなっていたし、以前は貰っていたアイマスク&イヤホンも支給されなかった(あると思って持参しなかったのに..)。 国際線内の機内食は「肉か魚」とか「洋食か和食」など選べるが、これも1種類になっていた。当たり前のようにSASで決められた食事が配給された。 ちなみに、ベジタリアンフードはあらかじめ頼んでおけば持ってきてもらえる。夜中におにぎりとか配給されるが、この時もベジタリアン用サンドイッチが手渡たされるという徹底振り。
2008/10/24(金)~2008/11/6(木)
渡来先:ドイツ・ベルリン滞在(旧西ベルリン)
航空会社:スカンジナビア航空(sas)、easyjet
◆SAS批評
数年ぶりに乗ったSASだが、サービスが簡素化されていて驚いた。理由としては、エコノミーとビジネスの間に「エコノミーエクストラ」というクラスが出来たことが原因ではないかと思う。そのせいか、機内食も選べなくなっていたし、以前は貰っていたアイマスク&イヤホンも支給されなかった(あると思って持参しなかったのに..)。 国際線内の機内食は「肉か魚」とか「洋食か和食」など選べるが、これも1種類になっていた。当たり前のようにSASで決められた食事が配給された。 ちなみに、ベジタリアンフードはあらかじめ頼んでおけば持ってきてもらえる。夜中におにぎりとか配給されるが、この時もベジタリアン用サンドイッチが手渡たされるという徹底振り。
しかしながら、二酸化炭素排出量削減のために通常の運行をせず“エコ運行”を実施している点においてはすばらしいなと思った。また“カーボンオフセット”のために募金活動うするなど、環境先進国の北欧らしい点を垣間見る事が出来た。
◆街並み
ここ数年、遅めの夏休みを取る関係上、晩秋のドイツへ行く事が続いている。今回は会社を辞めてという事もあり、予定していた日程をもう数日長く延ばし、約2週間、冬が近いヨーロッパの街を見てきた。
プラタナス、マロニエ、西洋菩提樹、西洋カジカエデ、ナラの木etc..晩秋のドイツは街路樹の落ち葉で一面じゅうたんのようになる。カサカサ音をたてながら、ちょっとすり足ぎみにして落ち葉の道を歩くのが好きだ。アパート付近にはプラタナスの街路樹がたくさんあった。落ち葉のにおいも好きだなぁ。そんな落ち葉もじゅうたんのようになったかと思うと、火曜日の夕方にはきれいさっぱり掃除されていた。なんてことのないコンクリートの道を歩くのはちょっと味気ない。
◆アパート住まい
今回、初の試みとして滞在先をひとつのアパートで過ごすことに。アパートは3日以上の滞在が条件のいわゆるウィークリーマンションタイプのモノで、物件自体は古い。あとでわかったことだが1959年の家屋である事が発覚。しかし、ところどころリフォームしてあり、キッチンもオール電化。コンパクトで使いやすかった。場所は旧西ベルリン側の住宅地。15分歩けばKaDeWeにも行けると言う好立地。かつ、地下鉄が3つ&バスも通っているので、どこに行くにも便利だった。1泊25ユーロ。
◆食事
アパートで自炊生活をしたため、ベルリン市内ではカフェやレストランで食事もせず、結局、お茶すらしなかった。持参したパンと水、時にはサンドイッチを作って、外でランチを食べていた。外でランチって言っても、そのほとんどが立ち喰いだったんだけど(笑)雨の日、大きな菩提樹の下で雨をよけながらライ麦パンを食べたりとか。
そんなわけで、食に関するレポートが乏しくなった。あ、ベルリンと言えばカリーヴルストの本場。ということで、屋台のカリーヴルストは5~6度食べたが、どれも美味しかった。カリーヴルストに添えられるパン(Brotchen)に、カレーソースのあまりをたっぷりつけて食べるのが私流。
カフェレス情報が無い分、スーパー情報は充実している。ベルリンの物価は日本と変わらないか、若干安いと言う程度だった。が、野菜や水、パン、粉ものなど、生活必需品はとても安いと思った。私が自炊をして一番嬉しいなぁと思う瞬間のひとつに、ハーブが安くたくさん買えることがある。例えばルッコラやマーシュが山盛り買っても200円ほど。それではということで、ルッコラの山盛りサラダを作ったりして楽しんだ。
またドイツはインスタント食品が充実している。ドイツのクノールとスイスのマギー(ネスレ)が2代勢力で、その間に地元メーカーが参入しているという感じだ。グリル料理やオーブン料理のインスタントものが多かったし、また冷凍食品もそれなりにあった。特に、揚げ物ではなく煮込み料理用のロールキャベツ的なものやミートボールが豊富だった。
一度、冷凍食品を購入したが、なんと「キャベツのみじん切りボール」だった。実は野菜グラタン風のものだと思って購入したので、レンジで出来るのだと思ったので驚いたが、この商品は使い勝手がよく、野菜スープとして使った。手前味噌だが、非常に美味しいスープになった。
またスーパーではBIOマーク(オーガニック商品)のついたものが非常に増えていた。BIO専門のスーパーもまだ少ないがいくつかあった。価格は時価の2~3割増というところだが、主婦だけではなく、20~30代の男性が買っている姿が多かったのが印象的だった。またBIOマーケットでは、大量買いをする主婦の姿もあった。食料品だけではなく、化粧品、衣類、日用品など、品揃えの豊富さに驚いた。
◆歩く/突貫工事
観光名所にも行ったし写真もたっぷり撮ったが、何だか旅行者という気分がしない旅だった。4度目だし、一箇所で自炊しているせいなのか?併せて、ドイツに居てこんなに日本人に遭遇しない旅も初めてだった。
ベルリンって、いつ来ても工事をしている街なんだなとつくづく思った。私が最初に訪問した10年ほど前、まだ東西の交通網が出来上がっておらず、今のようにスムーズな移動は出来なかった。DDR側は大工事の真っ最中だった。そして、前回行った3年前は、DDR側(ポツダム広場界隈)の工事が無事終了し、ソニーセンタービルとDB(ドイツ国鉄)のビルを目印に、西新宿のような近代的な街が完成していた。
今回も、また新たな場所で工事が行われていた。もちろん、突貫工事の場所はDDR側ばかり。中でも一番驚いたのはベルリン大聖堂前にあった建物が壊されていたこと。ここはもともと旧東ドイツ時代の国家評議会の建物があった場所なのだが、解体工事もあそこまで大々的にされると廃墟オブジェのように見えてきた。
持参した地図は3年前にもらったベルリンの市内地図を持参したが、今回、テーゲル空港でもらった地図と比べてみると、交通網だけではなく、道自体が拡張工事等で変わっていることがわかった。実際に、アパートそばの道が3年前の地図では遮断されていたのに、現在の地図上では繋がり道ができていた。実際に行って見ると、本当に道が繋がっていたので非常に助かった。 だが、念のためプリントアウトしていたグーグルマップは遮断された道で表示されているのだが..グーグルマップの信憑性を疑ってしまった。
来年は壁崩壊20年目に当たる。そのためにも、ある程度整備をしておきたいというドイツ政府の考えが垣間見られた。工事をするのは結構だが、残すべき建造物まで壊さなきゃいいんだけど...
◆歩く/Lichtenberg散策
丸一日使って、Lichtenberg地区を中心とするDDR関連施設巡りをした。
ここはロンプラにも書かれているように、「一部の人にしか興味がないエリア」というだけあって、観光客らしき人の姿はほとんどない。時々、ドイツ人団体バス観光客がいるだけだった。
(1)Stasi PrisonGedenkstatteBerkin-Hohenschonhausenへ
4ユーロでドイツ語のみのガイドツアーに参加しなくてはいけない。一応、いろんな国のリーフレットは有るんだけど、実際にここへ訪れる人はドイツ人がほとんどなんだろうなぁというのが率直な感想。
ツアーは毎時ちょうどに出発する。なんと・・・90分もの長時間ツアーだったので正直疲れてしまった。でもそれもそのはず、ツアーガイドのおじさんも収容されていたようだった。
(2)StasiMuseumへ
この博物館は3階(日本式には4階)まで展示されていて、元々シュタージ本部だっただけあり関連資料が豊富。また実際に使われていた部屋も見られるのでドキドキする。2階には収容した人間を入れる牢屋もあり、ちょっと頭痛がしてきた...
(3)カールスホルスト記念 正式名は『Deutsch-Russisches Museum Berlin-Karlshorst』という長々しいモノ。
エレベータで2階(日本式では3階)まで行き、山のような資料を見始める。当時のフィルム映像を流していたので見てみると、実際に足を切断する映像や死にかけている人の心臓に注射(モルヒネ?)を打つシーンとか、顔を覆いたくなる映像が出てきたので席を立ってしまった。映画でもドラマでもなく、実際の映像なので本当に怖い。
ドイツがロシアやアメリカに無条件降伏した場所に実際に立つことができるなんて・・・歴史が動いた場所に今居るんだなと思うと、やっぱりドキドキする。今回のDDR関連施設巡りは、旅の目的のひとつでもあったので、達成感があった。
その他、シュタージ博物館やDDR博物館など、東ベルリンに関する施設へ足を運んだ。まぁ、似たような物が展示されている場合もあったが、ベルリンへ来たらこのような場所へ行く事もおすすめしたい。
◆歩く/西ベルリンへ進出したアンペルマン
DDR関連施設が博物館や展示館になっていて、興味深い資料が開示されていたことで、DDR時代の歴史文化に触れることが出来て本当に良かったと思ってる。が、その反面、DDRの歴史文化を“喰い物”にしているようにも感じられた。
例えばDDR側にあった信号のマーク・アンペルマン。数年前はハッケシャーホフでひっそりと売られていたが...驚いた。スーベニアショップに当たり前のように置いてある。ドン引きした。さらに、このアンペルマンの信号が旧西ベルリン側エリアにたくさん出来ていた。だってこれって...東ドイツの信号だよね^^;これは観光の一環なのか?なんだかここまでされると気分が悪い。
ちなみに、新しく作られたアンペルマンとDDR時代のものは明らかに違う。(DDRのものは信号表面がざらざらしていて丸みを帯びている)オスタルジーを生み出した映画「グッバイ・レーニン」が引き金になったように思えて仕方がない。個人的にはあの映画は好きなのだが...
◆歩く/ブランデンブルク門界隈・テンペルホーフ空港等
3年前のブランデンブルク界隈は工事中だったが、工事は終了していた。ブランデンブルク門を背にしてウンターデンリンデンを見ると、右手には「Academy of Arts」という建物がある。これは1696年から始まった歴史ある美術館が別の場所から引越しをしたらしい(2006年春)。以来、人気のスポットになっているようだった。入ってみようかなと思ったが、ガラス張りの館内は長蛇の列....断念。
逆の左手には「ケネディ博物館」なるものが出来ている。その横にはスタバも出来ていた。統一ドイツの象徴の前にアメリカの象徴が二つも並んでいるのが印象的だった。
また壁崩壊20年目に併せてなのか、西ベルリン市民にとって重要な役割を果たしたテンペルホーフ空港が10月末で閉鎖となった。この事実を知ったのは渡独数日前だったので、あわててスケジュールに加え、訪問。
テンペルホーフ空港内へ入ると、閑散とした地方の空港のようで、カメラを持った観光客の方が多かった。出発・到着のスケジュールを見ると、すでに数機しか飛んでいないことがわかった。なぜかMannheim、Brussel、Vaxjo便ばかりで、以外は飛んでいなかった。ここが西ベルリンの時には重要な役割を担った空港だったのかと思うと、名残惜しさと時の流れが感じられた。
◆クヴェトリンブルクQuedlinburg
日帰りでハルツ山の麓の小さな街・クヴェトリンブルクへ。この日の朝2時、夏時間から冬時間へと変わった。 日本人にはあまりなじみが無い場所だが、ドイツ人には人気の観光地。ここは第二次世界大戦の被害を受けず、古い街並が非常によい状態で保存されている事で、ユネスコ世界遺産に登録されている。
往路はバスで。ZOB(BERLIN LINIEN BUS)のターミナルから「Harz行き」のバスに乗る。途中Magdeburgに止まったあと、Quedlinburgに停車する。ここまで約3時間。 社内は日本の長距離バスと一緒で、ちっちゃなトイレがついている。ドリンクドリンクコーナーもあるが、こちらは有料。添乗員がオーダーを取り、作って持ってきてくれる。
威風堂々としたQuedlinburg Hbf(クヴェトリンブルク鉄道駅)が、寂しげにぽつんと建つ駅前から、旧市街へと歩いて約10分。市庁舎前のマルクト広場にたどり着く。閑散期で木枯らしの強い日だったせいか、寂しい広場に感じられる。 広場から5分ほど歩いた小高い場所に10世紀に建てられた城と城博物館がある。ここから旧市街の街並みが一望できる。が、残念ながら強風で撮影どころではない。また見どころの教会も修復中で、外観が工事のカバーがかかっていて残念だった。やはり、行く季節と天気は重要だなぁとつくづく実感。
復路はDBでベルリンへ。
駅の窓口は閉まっていたので自販機でチケットを購入する。JCBカードで購入できるようなので、ためしに使ってみた。無事、JCB決済が出来た!でも...暗証番号を入力しなかったのに承認されたのはなぜ? ちなみにこの後ポーランドへ行った時も同様に買ってみると、やっぱり購入できた。(東京に戻り、JCBをwebチェック→しっかり請求されていた)
またこの時期は、観光先の工事・リニューアル時期の場合が多く、一部観光できないとか出来ても外観が工事の最中ということが多い。閑散期は混まないからありがたい反面、観光収益が減るこの時期こそ作業の時期なので考えものだ。
◆リガ/ラトヴィア 1ラット=200円くらい
バルト三国のひとつ、ラトヴィアの首都リガへ2泊3日滞在をした。滞在中のほとんどが雨で寒かったので、気持としては不完全燃焼で終わった。ベルリンからeasyjetを使ってリガへ、片道約10ユーロ。燃料費を入れると往復で1万円ちょっと。やっぱり安い。十分安全な運行で快適なフライトだったので満足したが、指定席でないことに驚いた。
リガ旧市街の雰囲気は当時のハンザ同盟、リューベックやロストックに雰囲気が似ていて、港町なんだなと感じた。旧市街は狭いんだけど、歩きづらい。というか、道がわかりづらい。チェコ各地の旧市街に雰囲気が似ているなぁと思った。教会の塔にはエレベータで一気に上れる。ドイツを含む中欧諸国の教会・大聖堂は、ほとんどエレベータなんてついていないのに(ウィーンのシュテファン大聖堂位では?)、リガ、すごい!しかもエレベータ内にガイドのおばちゃん付き!このほか、郊外に建つルンダーレ宮殿へ足を延ばした。エルミタージュを手がけた建築家の宮殿で、細部に細工が施されていたのが印象的だった。
また日本食ブームなのか、旧市街だけでも3~4件、新市街の方にも3~4件、日本食系のレストランを見つけた。それなりに流行っているようだったが、寿司職人並びに料理人に日本人の姿は無かった(たまたまかな?)。また、市内各所に警察の姿があり、その数に驚いた。治安が守られているのはこのためか・・・
◆シュチェチン/ポーランド 1ズウォティ=50円くらい
あいにくこちらも雲が厚く、今にも雨が降り出しそうな天気。昨夜から霧もすごい。しかもこの日も寒いし...きっと5度くらいだったんだと思う。DBを利用したのだが、パスコンは無くなってしまったのか?検閲職員らしきお兄さんが来て、ゆる~いチェックで完了。10年前に同じ路線を通ったときは、まだポーランドヴィザも必要で、ものものしい雰囲気だったんだけどな。時代は変わったのですね。
シュチェチン到着後、鉄道駅そばのバス会社でキャンセル料金をもらいに。というのも、旅立つ前に東京でバスをネット予約したが、DB発行の「ブランデンブルク・ベルリンチケット」で往復した方が安いことに気がついた。バス代は数百円の手数料を取られたものの3000円弱戻ってきたので、ユーロを下ろさずになんとか買い物が出来た。市内のデパートではユーロ使用可。
この街はドイツの影響を大きく受けている(ドイツ占領下時代も長い)ようで、リガ同様に北ドイツの雰囲気がプンプンしていた。市内には古びたゴシック様式のレンガ造りの建物が多く、ハンザ同盟やその時代に関わりがあるとか。子供が可愛かった。西欧と違ってスレてない素朴さに心を打たれた。
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以上、長くなりましたが、今回のレポートを終わります。ここまで読んでくださってありがとうございました。
《おまけ・今回の後悔》
1:ベルリンに来ていて、シュペッツェレを食べなかった...(涙)
せめてこれだけでも食べに外食すれば良かった..
2:フローマルクトに行けなかった
本当はガラクタの中からお気に入りのひとつを見つけたかった