2017年9月19日火曜日

秋のベルリン、真夏のマヨルカ(Berlin&Mallorca)_2017/09/19


♪♪♪

2017/09/19

【7時半】の目覚ましが鳴る少し前に目が覚める。モゾモゾしようと思ったが、なんだかスッキリ目が覚めたので朝ごはんを食べる。今朝もゆっくり食べて仕度したので、気づくと9時を回っている。今日はチェックアウトをするので・・どうするか悩んだ末、予定通りHackescher Markt(ハッケシャーマルクト)へ行くことにする。

雲は多いが、本日も快晴なり



ソファに腰かけて、DBが行きかうさまを見るのが好きで・・



今から、こちらへ向おうと思います

もう、いい加減、チェックアウトしないとね・・


【9時半】にチェックアウトして、荷物を預ける。Sバーンに乗ると、今回初の切符拝見係に遭遇。交通機関乗り放題は今日までだから大丈夫だよな・・・と思いながらも、チェックアウトしたし・・・と少し不安がよぎったが、なんなく通過。そりゃそうだよね、駅員さんは私がチェックアウトしたかどうかなんてわかりっこないし、今日は24時までなんだし。


ラッピング列車も多い・これはDDR Museumのラッピング


♪♪♪


【ベルリン中央駅から二駅目の】Hackescher Markt/ハッケシャーマルクト駅に到着する。行く先はBlindenwerkstatt Otto Weidtmuseum(ユダヤ人盲人作業所)なのだけど、なかなか場所がわからず、人に訪ねてようやく行きつく。

ハッケシャーマルクト駅前は飲食店が並ぶ

すぐの交差点にはMUJIUNIQLO



住居の中にショップや映画館などが入っている、ドイツでときどきみられるスタイル。ここは迷路みたいになっていて、中庭をぐるりと囲むつくりになっているので、散歩するだけでも楽しいよ。さすがに早朝なので、ショップはほとんど開いていないけど・・


中庭







OXYMORON(オクシモロン:矛盾)というカフェレス
OXYMORONと言えば、
私の中では鎌倉のカレー店なんだけどなー





ショップと住宅が一体化しています


素敵な住居だけど、週末はいつも賑やかで落ち着かないかも




少し歩くとストリート系なエリアへ



落書き・・失礼、アートが花盛り

そんな一角にやっとありました。ユダヤ人盲人作業所。




【なんだろう・・・】写真や展示物を見ていたら、ユダヤ人視覚障害者たちの笑顔をみていたら、泣けてきた。経営者のオットーヴァイト氏の労苦を想像すると泣けてきたのだ。博物館の来場者は私だけ。受付のお兄さんに泣いていることを悟られないように、涙をぬぐってDankeと告げて立ち去った。なんだろうね、泣いているのを見られるのってなんか苦手で。ここ、そんなに広くないけど、無料開放されているし、歴史の散策をしたい人にはぜひとも行ってみてほしい場所の一つ。


実際に作業していた机といす


触ってみると、作業していた人たちの
ぬくもりを感じられるような・・


Hans Israelowicz(生き残ることが出来たひとり)

1943年からこちらで働き始めたが、1944年に入るとナチスドイツの迫害から逃れるために身を隠していたが、当時住んでいたアパートが爆破される。その後、母親とLichtenberg地区に移り住み、名前を《Hans Paulick》と偽り、終戦をむかえたのだそう。オットー氏に命を救われたひとり。

オットーヴァイト夫妻
ベルリンにおける「シンドラー」のような方だと思う。

朝から泣けた・・

♪♪♪

【続いて】すぐそばにAnne Frank Zentrum(アンネ記念館)があるので行ってみる。展示物は大したことないわりに、5ユーロとは高すぎな気がする。まあアムスのアンネの家や、そのほかの施設にあちこち行っているから物足りなく感じるのかも知れないけど・・・
落書きストリートの奥へ向かうと


ストリートアートのアンネ・フランク

アムスにある、「アンネ・フランクの家」内部の写真

【ちなみに】2016年からアンネの家はWebで訪問時間を予約するようになったみたいだ。2000年に訪問した時は店頭の列に並んでチケットを購入した記憶がある。しかし、そんなに長蛇でもなかったと記憶しているけど、ググってみると「長蛇の列で」との記載があちこちにあるので、訪問時間を制限したいんだね。人気のある観光地・施設は、こうやって入場するのが一番だよね。

アンネが13歳のプレゼントでもらった日記帳

ファクシミリ?え?ファクス??

各国の言葉でアンネフランクと書いてある階段の壁
(残念ながら日本語は無し)

なんか満足感がないままに・・階段を下りる


そしてこのあたりはとにかく落書きというかアート?

Herr

Frau

mit ゴレオ♪

カフェスペース

なんだか廃墟みたいな、倉庫みたいな・・

時間が早いから人はほとんどいないけど、
週末や夜になるとすごいんだろうなぁ





クマやら

ネコやら

ゴリラやら


ポストが落書きされ過ぎていて、イミフ


♪♪♪

落書きストリート(勝手に命名)から一般道路にでると・・


ん?何かのプレートが

ココに住んでいた人で、
アウシュヴィッツで亡くなった人たちの名前が


(中央上)
Hier Bohnte
ANITA BUKOFZER
JG.1930
Deportiert 1943 
Ermoredt in
Auschwitz

ここに住んでいたANITA BUKOFZERさん
1930年生まれ
1943年に強制送還され
アウシュヴィッツで殺害
-----------------------------------------------
(左下)
Hier Bohnte
URY DABIDSOHN
JG.1943

Deportiert 1943
Theresienstadt
Ermoredt in
Auschwitz

ここに住んでいたURY DABIDSOHNさん
1943年ベルリン生まれ
1943年に強制送還され
アウシュヴィッツで殺害
※資料によると1944年に殺害・当時2歳
-----------------------------------------------
(右下)
Hier Bohnte
PAULA DABIDSOHN
Geb.Katz
JG.1905

Deportiert 1943 
Theresienstadt
Ermoredt in
Auschwitz

ここに住んでいたPAULA DABIDSOHNさん
1905年/カトヴィッツェ生まれ(ポーランド)
1943年に強制送還され
アウシュヴィッツで殺害

【追記:ブログ作成時にわかったこと】
なぜここまで詳細がわかったかというと、上記プレートの写真を拡大し、わかる範囲で人名を検索したところ、"Stumbling Stones"というサイトを発見。これは1933年~45年に迫害された人々を忍ぶプロジェクトなのだそうです(アーティスト:Gunter Demnig氏主催)こんなプロジェクトがあったなんて、知らなかった。このサイトにアクセスして人名を検索すると、人名がヒットしたらその人が生まれた場所にプレートが埋め込まれているというもの。殺害された人たちの簡単な履歴・生い立ちが書かれていて、胸が詰まります。

♪♪♪

再びハッケシャーマルクト駅前へ
ランチタイムが近くなり、美味しそうなメニューがあります


食べるのはガマンなのだ!



【ここで薬局を発見】したので、諦めきれない私はレメディ探し(3回目)で訪問する。こちらは受注発注なのか、「今日の15時以降に再訪してほしい」と言われたが、もうその時間は伯林にいないので、お断りする。ベルリンウォールとムーンストーンはどうせないでしょと思ったので聞かなかった。

フライトまでにまだ時間はあるので、Friedrichstraße駅まで歩くかSバーンに乗るか悩んだ末、鉄道(Sバーン)を利用することにした。Friedrichstraßeはベルリン東西の歴史を語るうえで重要な駅なのに、実はちゃんと観光した記憶がない。壁があった頃、東西ベルリンに住む離れ離れになった家族は、クリスマス時期のみ、家族に再開することが出来た(しかも選ばれし人のみ)のだけど、その時国境許可書が発行された駅がココだったんだよね。「Tränenpalast/涙の宮殿(トレーネンパラスト)」と呼ばれていたの。





東西ベルリンに戻る家族の姿

何だか泣けるわ・・

当時の様子を展示している博物館があるので、
そこへ行きたかったんだ。




涙の色は水色?ドイツでもそうなのかな?
(無料)



当時の国境検問所の様子と、西と東で離れ離れになった人たちのさまざまな資料が展示されている。1962年~89年は外国人観光客や外交官などはスタンプを押してもらえば行き来できたようですが、東西ベルリンの人たちの中には、検問室で《拷問》ともいえる長時間のチェックをされたとか。亡くなった人もいらっしゃるようです。トランクの中身、手紙、あぁ胸がつまる。






何度も言うけど、
先進国でこんな歴史を持っているのはベルリンしかない


もっとじっくりとみたかったけど、
11時半を回ったのでベルリン中央駅を目指す。

♪♪♪

今回お世話になったIntercity Hotelに到着
ちなみに手前(左ほんの少し見えている角)は
スタイリッシュでかっこいいホテルなんだよね、
一度泊まってみたいが、アドロンより安いけどやはり高い!


【ホテルにピックアップ】へ行ったのは12時すぎ。荷物持参で再度ベルリン中央駅へ。ここのアジアンフード店でランチを食べる。パンに飽きてしまったみたいで「アジアンフードシック」になったみたい。


預けていたトランクを受け取り、いざ空港へ!


その前にベルリン中央駅校内にある、
アジアン・ファストフード店へ。
タイ、ベトナム、中華、日本料理が食べられる


私はGebratene Nudeln(焼きそば)
さっぱりした味付け、意外にうまい!
これで3ユーロとは優秀です!
(ちなみに自前の水を持ち込み)

Gebratene Nudeln(焼きそば)美味しいじゃないの!《唐辛子ペースト》風なソースが置いてあったのでつけて食べると、味が締まってこれまたうまい!ボリュームたっぷりだし大満足。食べ終わる頃には、駅利用者だけではなく、近隣で働くサラリーマン風の人たちも大勢食べに来ており、行列ができていた。ちょっとした社食みたいな感じ♪


♪♪♪


【TXL】にのりこんだのは13時前。椅子に腰掛けテーゲルへ向かう。テーゲルへ15分ほどで到着。本当にベルリンはコンパクトシティで助かる。






Air Berlin(エアベルリン)はターミナルCにあるので、少し離れた場所にある。成田のターミナルC程は離れていないけど。ちなみにターミナルCはLCC専用になっているようだ。早めに到着したので、少しベンチで休憩した後、エアベルリンのチェックインカウンターへ行くと『これはNIKI(ニキ)だからAターミナルだ』と言われる。確かに、よくみるとニキはターミナルAだ。そうか、共同運航だけど、機体はニキだからターミナルAでの受付なのか。やれやれ、再び来た道を戻る。

しかもGateAと書いてあるじゃないか!


【Aの2-3カウンター】で受付なんだけど・・なんと!まさかのディレイ!遅延!なんと!私は何時にマヨルカにつけるのか・・不安がよぎる。掲示板をみると、《ディレイ18:55》って書いてある。ってことはマヨルカへは22時着だよ。勘弁してくれ(涙)今回、ベルリン滞在中にとてもスムーズに観光できたので、この調子で・・と思ったけど、そううまく行くものではないのね。でも欠航じゃないから良かった・・

実はエアベルリンは経営破たんにより10月末で営業中止となる。現在~10月末まではドイツからの公的資金で運営されている。私が予約をした6月は、まだ破綻をしていなかったが、それから1か月後に破綻のニュースを知り唖然とした。大丈夫だろうか、ちゃんと飛んでくれよと・・時々、フライト状況をチェックしていた。職員(特に機長)の体調不良により、運航が停止されることも増えていたので、今回の旅で一番心配していたのが「ベルリンーマヨルカのフライト」だった。

ベルリンが大好きな私としては、エアベルリンに乗れることが今回とても楽しみの一つでもあったのだけど、これが最初で最後のフライトになるのだとは・・悲しすぎる。ちなみに往路はニキ(エアベルリンの子会社)、復路はエアベルリンに乗る予定なので、最後の最後でふたつの航空会社の飛行機に乗れて嬉しくもある。


今、14.40だけど、一体私は何をすれば?



空港の外へ出てみたり


写真を撮ったり


【15時】すぎたのでカウンターに行ってみると、長蛇の列ができている。ディレイでもチェックインは予定通り行われるんだね。荷物を預けてJALのマイルつけて、早口のドイツ語でペラペラと話すお姉さんの会話内容がよく分からなかったが、ま、とにかく荷物は預けたし、18:55に離陸するのは間違いないから、Dankeと言ってその場を去る。



【空港内を散策】・・・といっても、テーゲルは小さい空港なのでつまらない。結局、TXLに乗り込み《Beussel》という街に行ってみることに。この駅はSバーンも通っているし、良さそうなカフェがあれば入ろうと思っていたが・・・とんでもない!カジノやセックスショップの多いかなり怪しげな街だった。しくじったなあ~(笑)街をひとまわりするが、カフェらしいものがないし、なんとなくそれらしい店はあるが、ぼったくられそうな雰囲気。あとで知ったが、このwedding地区は移民の街らしくムスリム系が多いのだそう。たしかに外国人ばかりだし、みた感じ労働階級の人が多い。だからといって悪さされることはないのだけど・・・雰囲気・治安がよくないとされているのだそう。知人にこの街にいることをSNSで伝えると「スリに注意しろ・カバンをしっかりと持つように」と警告される始末。陽が暮れる前にこの街を立ち去った方がよさそうだな。酒屋で空港並みに高い水を買って(ぼられた可能性が・・)コーラックを飲み、再びTXLに乗り込む。行きの交通渋滞は解消されていたので、17時前にはテーゲルへ到着する。ま、この街もベルリンの顔のひとつなのだと思えば、無意味なショートトリップではなかったよね。



Sバーン



このあたりは大きな工場が多いみたい


Reformationskirche
ルター派の福音教会なのだけど、
中でドラッグをしていそうな雰囲気もあって・・
こわくて入れなかったチキン野郎な私



このあたりは全然怪しい雰囲気はないのだけど・・


カジノの文字、わかるかなー



再びTXLへ戻ります


♪♪♪


【TXLへ到着すると】そのまま手荷物検査を受ける。この日はヘルタベルリンのTシャツを着ているのだけど、係員のひとりがTシャツに反応していた(笑)


さらにディレイを案内する掲示板を撮影するおじさんたち

【搭乗待合室】は大して広くないし、免税品は少しの酒、コスメ、香水のみ。みな静かにスマホをつついている。もはやこの光景は世界中で同じなのかも。おかしいな・・《18:42》になるが、まだ搭乗待合室にいる私たちにアナウンスがない。もしかすると、さらに延びてる?恐る恐る掲示板を見ると・・え?!20時15分だって!マジかよ、もう笑うしかない。欠航にならないだけマシだ。NIKIは飛ぶ気になっているんだから、待つしかないね。きっと、マヨルカの空港は欧州一夏場は混む空港と言われているので、マヨルカ空港が混み合っていて、その余波で遅れてしまったのだろうね。昨日は22時頃に出発したのだとか。ちなみに8月のニュースで『空港で乳出国4時間待ち』という恐ろしいものを読んだ。まぁ、それを考えればまだマシだと思うしかないよね。念のため、宿泊先のホテルに事情をメールしておいたが「OK」との軽いレスが届いた。もう宿も慣れっこなんだろうね。私の方がこんなことははじめてで混乱してるけど。


Kampsでサンドイッチをいただく

【そう言えば】カウンターのお姉ちゃんの早口のドイツ語が気になったので、その時に手渡された紙をよく読んでみると《5ユーロ分がお詫びで還付される》ようだ。離陸時間はさらに延びたし、もう一度搭乗口外に出してもらい、ニキのカウンターでその紙を見せると『kampsに行け』と言ってる。kamps? 還付するから?など、よくわからんことを考えながら歩いついくと、パン屋のkampsじゃないか!もしや、ここでの買い物できるってこと?あ、できるみたいだ。5ユーロまで好きなもの買える・やった!3.8ユーロのチーズとトマトのサンドイッチを買ってみた、ありがたい!再び手荷物検査を受けて搭乗待合室に戻る。水分は手荷物検査で通れないから、搭乗待合室に入ってから、高い水を購入した。

【ストックホルム症候群】ってこんな感じなのかな、場の雰囲気に変な連帯感みたいになっている(笑)待ってろよ、欧州のハワイ・マヨルカ!

【19時45分】にやっと搭乗開始、乗り込むまでに時間がかかるが、もうとにかく飛んでくれの気分。着席してから「急病人がでました」とか、マジ、やめてほしい!

【20時15分に無事離陸】到着は22:40分する。ニキ、頑張って高速運転で飛んだね。ありがとう。機内ではアイマスク着用で眠る。食事はすべて有料。着陸すると拍手。私も拍手。本当にありがとう!!機内から降りる時にエアベルリンのハートチョコをくれる。嬉しかった。







【空港からタクシーに乗る】運転手は英語がさっぱりのようだったが、上記画面を見せると「あこのホテルね」という雰囲気で走り出した。ラジオからはリーガエスパニョーラの試合。スペイン語はさっぱりわからないけど、時々おっちゃんが「んー!」とか「あー!」とか言っているので、私がスペイン語がわかって、サッカーの話をしてたら楽しかっただろうななんて思った。

【23時半にホテルへチェックイン】イカしたカウンターのお兄さんは、私が到着するのをわかっていたようで、親切な対応をしてくれる。この辺は飲食店がないので、朝食をプラス料金ですすめられたが、毎朝早いし、スーパーを見つけて部屋で食べるから断った。フロントの横には水の自販機があるので2Lボトルの水を買い、部屋へ。


疲れた!

Hotel Abelayの部屋は、シンプルでタイル張りの部屋。でかいタンスがあり、便利。ただこのタンス、新しいからか化学薬品(イケアの在庫置場のイケナイニオイ)がする。頭が痛くなりそうだ。タンスの戸を開けっ放しにすると、変なにおいが部屋に充満しそうで・・かと言って閉めてしまうと、タンスに入れる衣類にニオイがつきそうだし・・



これって・・おかしくない?

レースのカーテンが部屋の中側に。
普通、逆だよね?

airberlinのチョコ
あら、リンツのチョコだったんだ♪
ゴレオ君も嬉しそうです



【さっさとシャワーして】少し明日の仕度をしてたらもう午前1時を回っている。やばい。明朝のジョギングはスルーしよう。とにかく疲れたので寝る。



追伸:Hotel AbelayのHPをみて初めて気づいたのだが、なんとジムが併設されていた!なんだよ~だったらジムを使えばよかったぁ~(涙)