2011年7月17日日曜日

京都・祇園祭と竜安寺


~2011・07・17~

『祇園祭』

貞観11年(869年6月7日)、疫病が流行した京都にて、
災厄除去(悪霊鎮める)祈祷の為に行われた祇園御霊会が始まり。
その後11世紀になって鉾(ほこ)が登場、応仁の乱以降、
1500年に祭が再興され、現在の様式が定着。



初めての観覧を桟敷席にて。
この日の気温、36.2度。



これがチケット


衣棚通りの桟敷席(有料:3500円!)
私の席はここ
桟敷席では日傘を差してはいけないんだって。。。


座った場所はここ。


通りには、街路樹の日陰で涼む人たち
日陰は意外に涼しく感じられるが、日なたは灼熱地獄


あ、きた!


『山鉾巡行』

宵山で展示された品々の大行列。
長刀鉾を先頭としてスタート



『長刀鉾(NAGINATA-HOKO)』

鉾の真木は20m、前懸と胴懸は18世紀の絨毯。
鉾先には疫病邪悪を払う長刀をつけている
「長刀鉾」は毎年必ず山鉾巡行の先頭を行く。
神楽には生稚児(地もとの選抜幼児^^)が乗っている。
その他の鉾には稚児の代わりに人形が乗っているんだって


大迫力でした!


長刀は、娘の病気回復を祈願して
三条小鍛冶宗近が八坂神社へ奉納。
大永二年(1522年)に京都で疫病が流行った時、
長刀鉾町でこれを飾ると疫病が治まったとか





『霰天神山(ARARE-TENJINYAMA)』
別名:錦天神山・火除天神山

欄縁に沿った朱塗り極彩色の山には、
唐破風春日造の檜皮葺きの社殿が乗り、
塀内には12本の若松が立てられる
永正年間(1504~1520)の京都の大火。
この時、急に霰が降って猛火は消えた。
霰と共に一寸二分(約3.6cm)の小さな天神様が降りたと言われ、
以降「火除けの神様」として祀ったのが由来。



人だらけ・・・



『孟宗山(MOSO-YAMA)』

唐人衣裳を着た人形が、
右手に雪をかぶった筍・左手に鍬を担ぎ、笠をかぶっている

欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(ばいれい)下絵。
鳳凰・孔雀・鷹・燕・千鳥・鴨等の15種類の鳥が描かれる。
七条大仏師康朝左京作
病床の母を思う孟宗がタ​ケノコを掘りあてたという中国の史話
町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町なので
この伝説が取り入れられたとか。


しかし、どうしてラクダが描かれているのだろう・・


対面のビル屋上にも観客が



『函谷鉾(KANKO-HOKO)』
(重要文化財指定)

鉾の真木は22m。鉾頭には三角形の白麻、
先端には三日月が上向きに付く。
前懸は旧約聖書の創世記の場面を描いた16世紀の毛綴
帽子無しでは熱射病になります、ホント・・・


中国戦国時代、斉の孟嘗君(モ​ウショウクン)が函谷関まで逃げてた時、
関は鶏が鳴くまで開かないので、家来が鶏の鳴きまねを。
すると辺りの鶏が鳴き出したので通過できたという故事が由来



超暑そう・・





『油天神山(ABURA-TENJINYAMA)』

立派な朱塗りの鳥居が特徴。
金箔置の社殿には天神を安置、天神像は寛永7年(1630年)



風早町(かざはやちょう)に住む公家、
風早家の屋敷に祀られていた天神像を乗せる
紅梅が真木の松と一緒に立つ華やかな山



『四条傘鉾(SHIJYO-KASAHOKO)』

傘と棒振り囃子は古い鉾の形態の一つ

ものすごい人。熱気も気温もヒートアップ。
観客は約20​万人だったらしい。

明治5年以降、道具類もちりぢりになった為、休み鉾となっていたが、
1985年に傘鉾本体が再興されたので祇園祭に復活。
1988年以降、棒振り囃子の復元と共に117年ぶりに巡行へ復帰

棒振り囃子は室町時代に京都から広まったもので、
滋賀県甲賀の“ケンケト踊り”を参考としたんだって




保昌山(HOSHO-YAMA)

以前は“花盗人山”(​はなぬすびとやま)と呼ばれてて、
丹後守平井保昌と和泉​式部の恋物語が由来
ん~でも、なんか、​中国っぽくない?



藤原大納言元方の孫・保昌は、
和泉式部から御所の紫宸殿前の紅梅を手折って欲しい言われ、
苦労して紅梅の一枝手折って持ち帰り、和泉式部との恋を実らせた。
紅梅を手折る保昌の姿を表している
ロマンチックなのね^^



『月鉾(TUKI-HOKO)』

動く美術館とも賞される豪華な月鉾。
『古事記』より:伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉の国から戻り
禊祓いをした時、左眼を洗って天照大神(あまてらすおおかみ)が、
そして右眼を洗って月読尊(つくよみのみこと)が、
鼻を洗って素戔鳴尊(すさのおのみこと)を生んだと言われる。

月鉾は夜と水徳の神であった月読尊を表し、
真木の中ほどにある天王座(てんのうざ)に祀る
鉾頭は18金製:横40cm,上下24cmの金色の新月型。
屋根裏の金地彩色草花図:天明4年(1784)円山応挙(1733-95)の筆

前懸:2000(平成12)年に17世紀インド製メダリオン絨毯を復元。
後懸や胴懸にもインドやトルコの絨毯を用いており、
2000(平成12)年は後懸のムガール王朝製メダリオン緞通を復元。



古くからインドやら中国やら、関連しているのね


それにしても暑い・・・早々と退却するか



お、涼しげなものが




『伯牙山(HAKUGA-YAMA)』

中国・周時代の琴の名人伯牙が、
友人の鍾子期(しょうしき)の訃報を聞いた時、
悲しみのあまり琴の弦を断ったという故事が由来
斧を持って琴の前に立つ人形は
今まさに琴をうち破ろうとしている怒りを表す伯牙の姿




『鶏鉾(NIWATORI-HOKO)』

中国の「諫鼓(かんこ)」の史話にて。
天下が安泰していた唐の堯(ぎょう)の時代、
訴訟用の太鼓(諫鼓)も使われる事がなくなった為、
苔が生えて鶏が巣を作ったという故事に由来
 鉾頭の三角形の中の円盤は,鶏卵が諫鼓の中にあることを表す。
真木の中にある天王座には航海の神:住吉明神が祀られている



京都名物・冷やしキュウリ
美味しそうだった・・・



あまりの暑さで1時間半程で撤退する私たち

綺麗だったけど、ある意味命がけの観覧(笑)



=バスで移動=

今日のおひるごはんはお弁当





『世界文化遺産:竜安寺(RYOAN-JI)』
(正式名:大雲山竜安寺)

建立:宝徳2年(1450年)
細川勝元が徳大寺公の山荘を譲り受け開山に創建。
有名な石庭は応仁の乱で消失された後、
再興された際に建造されたと伝えられる。



方丈の縁側にて、この先には仏殿がある

あぁ~森林浴


あ、ここが「石庭」だ

意味があるらしいけど・・私はわからなかった
それよりとにかく暑くて・・・




この木の扉は何を意味しているんだろう?



縁側に座り、石庭を鑑賞する私
私の足



しかし・・・縁側にこの人の数は!
多すぎる・・それでなくても暑いのに、余計暑苦しい



目の不自由な方の為の、「箱庭になった石庭」



『鏡容池(GYOYOU-IKE)』

平安時代、お公卿さんが池に龍頭の船を浮かべて
歌舞音曲を楽しんでいたらしい
蓮の花が咲いていました



さて、バスに乗り込み移動。

ヤサカタクシーの「四葉クローバー」を発見。
「ヤサカタクシーは3ツ葉クローバーがマークだが、
営業車1400台の内、4台のみ四つ葉クローバーのマーク」とバスガイドさん。
その1台を運良く見ることが出来たのはとてもラッキーなのだそうだ。
バスガイドさん、大興奮で語る・・・(笑)


ラッキーか!?


でもこの日、バス車内のエアコンが23度設定(ありえない!)で、
私は喉を痛め、風邪を引いた。

アンラッキーじゃん(涙)